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育児に向いていない、根本的な問題について

最近しみじみ思うんですよ。私育児向いてないなぁって。
今まで育児向いている=子ども好き、とか子どもと色んな遊びが出来る、子どもと過ごす時間を楽しむことができる

みたいなイメージを持ってて、まぁそう意味でも向いてないなぁと思ってたんですけど。
最近、結局育児に向いているかどうか、というのはその人の人間性が良いか悪いか、もっと平たくいえば性格が良いか悪いかってとこにあるんじゃないかなあと思いまして。そういう意味でも改めて向いてないな、と思った次第です。

ちょっと長い上に個人的な話になるけどいいですかね…
超絶暇な時に鼻穿りながら読んでくださいね。

私という人間のパーソナリティの話を少しさせてもらえば、
今まで自分のことを愛想が良いしそれなりに人の話も聞けるし空気も読める方、相手の心情を考える想像力もあり、正直まあまあいいひと、だと思って生きてました(笑)

でもふとした時に人に対する攻撃性みたいなものが物凄くとがって出るな、というのに最近気づきまして。
特に身近な存在、旦那だったり実母だったりに、たまに物凄く冷たく見放した、「あ、もうこいつのことはいいわ。人間的におわっとるわ」みたいな目をするときがあるみたいなんですね、どうも。

で、それをもしかして、というか多分、100分の1くらいに薄めたやつを、まだ2歳の娘にも向けてるんじゃないか?
っていう気がするんです。

最近娘が、私が怒りのオーラを身にまとったとき先行して謝るんですよ。
2歳2か月の子どもが、空気読んで、怒りの最大破が来る前に、その波動を察知して「ごめんなさい」って言うんです。
それまで物凄いジャイアン的振る舞いをしていた子どもが急にピタッと我儘を辞めて、震える声で謝るんです。

これ初めてやられたとき正直めちゃくちゃ凹みました。
昨日の晩も、寝かしつけのときに下の子が先に寝たのに大声で騒ぐんで、何回か怒ってたんですよ。でも「シー」とか言えば言うほど反発して騒ぎ出して。

最後に「お願いだから静かにしてよ」って多分小声ながらも結構な迫力で言ったんだと思うんですが
始め何かもにょもにょ言ってるな~と思ったらそれは「ごめん」で、「え?」って聞き返したらはっきり「ごめんなさい」って言われました。それ以降寝るまでずーっと黙ってて、頭の中では「またやってしまった」の大合唱でした。

私多分シンプルに性格悪いんだなあって思うんです。
怒りのスイッチが入ると「どないかしてこいつを叩きのめさなならん」みたいな闘争心がぶわぁって湧いてくる。それを子どもにも向けてるんだと思う。これは物凄くまずいんじゃないか、子どもと遊ぶのが苦手とか、そういうのよりずっとずっと根の深い問題なんじゃないかと思ったんですね。
育児に向いているかどうかってのは多分シンプルに、他者に優しくできるかってことなのでは?と思ったのです。

それで今日、以前にも読んだ『14歳の子を持つ親たちへ』をもう一回読んだんですが、どんぴしゃの記述がありましたので引用。

名越 自分の親のことをあれこれ言うのって嫌なんですけど、うちの父親と母親はしょっちゅう喧嘩してたんですよ(中略)母親が泣き叫び、父親が怒鳴ってた。ところが僕自身は、両親から「面倒くさい奴やなあ」っていうふうな、冷ややかな拒絶を受けたことは一度もありません。叱られるときに、「お前のこと嫌いだ」っていうメッセージを受け取ったことがないんですよ。一度もないんです。それは本当に不思議な体験で。だからうちの両親はあれだけ僕の前で大騒ぎして、暴力沙汰もあったのに、僕にとってはやっぱり親だったなって感じ取れるところがあるんです。


私はこの「面倒くさい奴やなあ」は頻繁に出してる(っていうか口にも出してる)し、ひょっとしたら「お前のこと嫌いだ」という態度も出ているかもしれない、と猛省した次第です。

内田 すごく優しい人が、何とか優しく接しよう、接しようとして、どこかで優しく接しきれなくなって、一瞬破綻するところが「叱る」という経験になるじゃないですか。だから叱るっているのは、親にしてみたら敗北なわけです。子どもにきちんとメッセージを伝えようとして、それができなくて、ついに破綻してしまうという瞬間に叱るわけだから。

名越 そうです。地平の崩壊ですからね。

内田 子どもにわかるのは、その地平が崩れる瞬間だけなんですよね。だからそのためにも愛してるふりっていうと語弊がありますけど、親はクールなふりをしつづけなきゃいけない。


うちではこの「地平の崩壊」が頻発しすぎて、子どもを委縮させてしまっています。
そのうち子どもの成長と共に崩壊が通常になってしまい、叱ることの効果もなくなっていくのだと思われる。
これは大変にまずい。さらにもういっちょ。

名越 この頃ほんとに思うのは、母性って最初からあるもんじゃなくて、やっぱりトレーニングして身につけていくしかないってことです。(中略)

内田 内側に母性があると思うのは間違いで、外から持ってきて演じるものなんですよ。「子どもをどうしても可愛いと感じられない」って言う女の人がいるけど、当たり前じゃないですか。やればわかるじゃない。女の子をあまり好きじゃなくても、「愛してるよ」って言いつづけると、向こうもその気になるし、こっちもその気になる。だって、先方が機嫌がよくなって、優しくしてくれるわけだから、関係は良好になるわかですよね。感情ってのはいつでも行為の前にあるわけじゃない。行為が感情を形成してゆくってことはあるんですよ。


ふりでいい、演技でいい。ふりや演技というトレーニングを通して、母性は後からついてくるんだ、っていうところにものすごく安心感を抱きながら、がんばろう、と思いました。

2歳になる前くらいまで、娘は本当に可愛くて、可愛いものでしかなくて。
そんなときに下の子が生まれて、赤ちゃん返りがあって、イヤイヤ期がはじまって、ただ可愛いだけだった娘がどんどん厄介なもの、面倒を運んでくるもの、にかわっていきました。

今までのように盲目的に愛せない自分の中の変化も怖くて寂しくて、そんなこっちの気持ちはお構いなしに(当たり前だけど)娘はギャンギャン要求を次々投げてくるし、疲弊して、娘が謝ったり、本当に悲しそうに泣くたびに私は何かとんでもないミステイクを犯しているのではないか?と不安になって、でも取り返せないまままた朝が来て、怒鳴って、反省して、みたいな繰り返しで。

冒頭に育児向いてないって書きましたけど、だからもうやめるね!って話ではなくて(やめられないし)
向いてないからトレーニングするわ、演技力磨くわっていうある意味前向きな決意表明です(笑)
ふりでいいから優しい人間になろう、という。

自分の中の「底意地の悪さ」(他者への攻撃性)と「自分に対する甘さ」(すぐリミット解除して怒鳴る)という2大ウィークポイントが見つかって、
育児という修行を通してちょっとでもマシな人間になれるのでは?と期待しています(笑)
まずは娘に優しくなって、その優しさをサリーちゃんのように振りまいていきたい。そしてモテたい(モテかよ)

そういえば10年来の友達に、「あんたは~ちゃんを産んで本当にまっとうになったね」「他者に優しくなった」と言われたことがありまして。

言われたときは「私どんだけ酷かってんw」と思いましたが、こういうことなのかもしれないな。
まだまだ全然クズですが。多分以前はもっともっとクズだったんだと思う(笑)

何か言いたいことをちゃんと伝えられている気が全くしないのですが、戒めのためにこの日記は時々読み返そうと思います。

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by koto316 | 2016-05-20 18:09 | 育児

踊らにゃsong!song!精神でやっていきたい30歳♀。田舎暮らしに育児を添えて。@kotosuke316でついったもやってます。


by koto316