突然ですが私は潔癖の節がありまして、子どもを連れて公共のトイレに入るのが大変苦痛です。
トイレを覚えたての子どもは勢いよくスカートやズボンを脱ぎ、その布が床につくのを私は我慢できません。
汚い!ほとんどヒステリックに、反射的に叱ってしまうのです。
ビクッとした子どもの目を見て、昔エスカレーターの手すりを持っただけで汚いと叱られた記憶が蘇ります。
そう、うちの母も潔癖なところがありました。
今読んでる小説の影響で薄暗い始まりになってしまいました明けましておめでとうございます!ヒューヒューだよ!(無理やりの陽気)
今年も気ままに駄文を吐き散らかしていきたいと思います。
昨日冒頭のようなことがありまして、家に帰ってからまた再び家のトイレで同じことをされたわたしはキレてしまい、もうすぐ夕飯、風呂いうタイミングだったのもあってそのスカートを洗濯物入れに投げ、ほかのスカートを「これ履いとき」と長女に渡したんです。
しかし長女も負けてない、本日はお気に入りのコーディネートだったんですね。
めちゃくちゃ泣きまして。あんまりしつこく泣くもんだから私も意地になって、じゃあこのスカート履いてたらいい、新しいスカートに着替えないなら絶対に座るな、と。
立ちっぱで泣き続ける長女、無視する私、チラチラと違いを気にして幼いながらに気を遣っている様子の次女、This is カオス。
意固地になって無視し続けているうちにずいぶん歪んでるなぁと思ったのです。
親から継いだ潔癖を振りかざして子どもに無理を強いている自分ももちろん、服に固執してずっと泣き続ける子どもも、それなりにゆがんでいる。
多分人は生まれながら又は後天的に何かしら歪みを持ってて、それがいいようにいえば個性だったりそな人らしさだったりするのかも…
どうせあと数十分でパジャマなのに汚れたスカートに固執する長女の気持ちが私にはわかりません。
同様に長女も、トイレの床にちょっと着いただけの服を血相を変えて着替えさせる母の気持ちも分からないでしょう。
でもお互いにちょっとずつ、その歪みを認め合えたら、少しは楽に生きられるのかなぁ。
みたいなことを思って、仲直りしました。
気を遣わせた次女にもごめんね、とありがとうを。
相変わらず私は潔癖気味の頑なな大人気のない大人だし、長女はこだわりの強い癇癪持ち。
どっちもめんどくさい人間で、そのめんどくさい人間同士がこれから十数年一緒に暮らすのだから、家族って制度はやはりなんかこう、ものすごいな(語彙力)と思ったのでした。